雛人形のルーツを考え、一般的な座雛でなく立雛を娘に購入!

美味しいサーモンのハーブ焼き・バルサミコ風味の作り方」でちょっと前ふりしましたが、昨日、注文していた雛人形が届いた日です。一応、お日柄を考えて本日、雛人形とご対面!

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当初、雛人形の事についてこれっぽちの知識も無かった僕ですが、娘の雛人形を探しに(まぁ主に奥さんメインですが。)いろいろなお店を回りました。幸いなことに、隣町の埼玉県岩槻市ってところは人形の街らしい。地元では有名らしい。何やら駅前は人形屋さんがいっぱいあって、この時期は大変盛況らしい。

ってことで、岩槻方面に GO。程なくして道沿いに「秀月」なる人形屋を発見! 密かに、僕がずーっと古風な銭湯と思っていた店だ。

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そう言えば、CM で人形の秀月(にんぎょう〜のしゅうげつ〜♪」)ってのを効いた覚えがある。お店に中は撮影禁止。お見せできないのが残念だが、1F〜3Fまで人形の山。正直、総合店を回っていたのが馬鹿らしいほどの量がありました。流石に餅は餅屋と言うだけあって、人形は人形屋に行くべきだ。

で、流石に人形屋の従業員。知識が半端ないです。SOGO にいるおばちゃんとは知識のレベルが違いますよ。

で、いろいろ見て回っていると、非常に変わった雛人形を見つけました。それが今回購入することとなった立雛(たちびな)ってやつなんですが、立ってるんです。普通、雛人形って座ってますよね。

この立雛を奥さんがえらく気に入った模様。雛人形のルーツについての説明を受けておりました。なんでも、立雛は雛人形のルーツでもかなり古い部類のもの。一般的な座雛より遙かに歴史が古いものらしいです。でも今の世、座雛が定着し、この立雛ってのは、殆ど世の中に出回ることが無くなったそうです。

希少価値もあって、値段も結構いい・・・Σ(゚Д゚; ですが、娘が意味を理解してきたときに雛人形について考えて欲しい意味も込めて、この立雛を買うことにしました。

後日、ネットで雛人形のルーツを調べてみました。「雛人形の歴史を語る。」ってサイトにかなり詳しい情報が記載されていまして、かなり勉強になりました。以下、お勉強のメモです。

そもそも雛人形って何?

雛祭りの由来 人形のまち 小木人形」にわかりやすい解説がありました。
平安貴族たちは、三月の巳の日に、疫病など流行やすいと言うことで、占い師により無病息災を祈願する行事、人形(ひとかた)・紙・土・草・藁などで簡単な人形(にんぎょう)をつくり、お酒やお供物を添えて、病気や災いを身代わりに背負ってくれますようにと、願いをこめて川や海に流しました。 また一方、そうして貴族たちの風習はこのように農耕時期を前にして農民にも広がって行きました。

そのうちに都の貴族の大人たちの遊びの雛遊が早いうちに貴族の子供たちへと広まりはじめました。
しだいに雛人形は豪華さを増し、部屋に飾っておくものになり、やがて、武士をはじめ一般庶民にも広まり今に伝わる思い、女の人のいろいろな穢れ・災いの身代わりになる大切の物として人の世のしあわせを願っての3月3日の雛祭りの行事となってゆきました。

雛人形は長い時間をかけて女の人が人形によせる心と上巳の祓いとが一体となり形成されたもの。

雛人形の歴史(ツール)を辿る・・・

形代・天児・這子〜こんな話しってる?」と「移り行く雛人形の歴史〜」に説明があります。立雛までとそれ以降の座雛では歴史的な流れが違うようです。

形代(かたしろ) → 天児(あまがつ)・這子(ほうこ) → 立雛・紙雛 → ひひな → 現在

形代(かたしろ)

「形代」(かたしろ)は、身代わり信仰の現われで、人間の身代わりとされました。三月の上巳の節句に、この形代で体を撫でて、身のけがれや禍いを人形(ひとがた)に移し代わらせて、川や海に流して幼子の無事な成長を祈るものでした。現在と異なり、紙は貴重品でしたから、草木などが使用されていました。

天児(あまがつ)・這子(ほうこ)

天児(あまがつ)は、幼児の枕辺におかれ、上巳の節句」(じょうしのせっく)に使用され、幼子の病気や災厄をはらい、無事な成長を祈るものでした。這子(ほうこ)は、上巳の祓に贈られた人形で、幼児の枕辺におかれ、祓の後に神聖なものとして翌年にも用いられようになり、幼子が3歳になるまで身に添えて持たせるなどの風習も生まれました。

立雛・紙雛

天児(あまがつ)が男子、這子(ほうこ)を女子に見立てて、一対のものとされたものが、立雛の原型とも言われています。初期は紙で作られていることなどから、形代(かたしろ)や天児(あまがつ)からの変形であることは想像に難くない。

ひひな

記の祓(はらえ)用の天児(あまがつ)・這子(ほうこ)とは別に、「ひひな遊び」のお人形というものがありました。平安時代の古典「源氏物語」に、貴族の少女達が「ひいな遊び」をしている風景が登場しています。「枕草子」にも描かれています。

「ひひな」は、上巳の祓や3月3日とは関係なく幼女の遊び道具として存在していました。この「ひとがた」と「ひひな」が結びついて、現在の「お雛さま」が生まれました。

上巳の祓の人形と幼女の遊び道具の人形は、中世以降になると次第に立派なものとなります。捨てていた人形(ひとがた)も「飾り雛」として造られるようになり、江戸時代になると、平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形となってゆきました。

ひひなが現在の雛人形に至るまで・・・

室町雛 → 内裏雛 → 寛永雛 → 享保雛 → 次郎左衛門雛 → 有職雛 → 古今雛 → 現在


ってことで、とっても勉強になりました。 後は雛人形が娘に壊されないことを祈るばかり・・・(^^ゞ

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